子どものゲーム~ルール作りの話~
日常
CT
子どもにゲームやYouTubeをどのくらい許すか――。
これは多くの親が悩む問題ですよね。
例えば
- 🎮 一週間で●時間
- 🎮 一日●分
- 🎮 勉強やお手伝い、その他のお約束厳守をこなせば無制限
- 🎮 勉強をやった時間と同じもしくは半分の時間をゲームに当てられる
など、あの手この手のルールを考えたとしても、
時間を守らないことはもちろん、
なんらかの理由でゲームが出来なかった日の分の繰り越し(管理が煩雑で曖昧に)や、
お友達の家に招かれてやったゲームの時間や友達が我が家に来てくれた時に友達とやったゲームの時間、をどう換算するか、
等でいつも揉めてしまいます。
それに…
子どもがゲームをやっている時に感じるあのゾワゾワ?モヤモヤ?ただのイライラ?
あれはいったい何なのでしょう。。
今日はそんな「子どもとゲームのルール」について考えてみたいと思います。

なんでイライラするの?
息子が画面にかじりつく姿を見ている時に感じることを言語化してみると
- 😟 暇さえあれば画面にかじりついてる姿に「依存症なのでは?」と不安になる
- 😟 ゲーム無しでもあんなに楽しく遊んでいたあの日の(笑)息子はどこへ?
- 😟 ゲームでしか楽しめない人間になってしまったのでは・・・
- 😟 てか目も悪くなるし。。。
- 😟 このまま人との関わりを面倒だと感じるようになったら?
- 😟 大事な時期に、なにかを逃してしまっているんじゃ?
- 😟 ゲームと現実を混同しだしたら・・・
・・・と自分で書いてて妄想激しすぎというか飛躍しすぎだとは思いますが、そう、つまり「不安」なんですよね。
親って、子どもの見えない未来に対して勝手にイメージをふくらませてしまう生き物なのでしょうか。
じゃあどうしましょう?
大事なもの対しては色々不安になってしまうのも仕方がない。
ただ、そこから発生するイライラをぶつけたり、
心配だからと締め付けていては、ただ反発されたり、自分で考える力を奪うだけで、結局また別の心配事が増える事になります。
では、どうしたらいいのでしょう?
先ほど書いた「不安」を裏返すと私が息子に大切にしてほしいことが見えてきます。
今一度目的を考える
私が感じる不安を反対にして考えてみると、私が子供に望むのは
- ❤ 健全な心と体
- ❤ 今しかない柔軟な脳みそのうちに知識を蓄える事
- ❤ 色んな経験を通して人生の選択肢や感性の幅を増やす事
- ❤ 自立、自律できるようなるための準備
この辺りかと思うのですが、これって別に「ゲームを悪者にしたい」わけではなくて、もっと広く、子どもが“ちゃんと自分の時間を使える人になってほしい”という願いなのだと思います。
息子とルールを作ったらええんちゃうか??
ゲーム時間で揉めないためにはイレギュラーに全対応できる抜け道無しの完全無欠なルール作りをしないといけない!とどこかで思っていましたが、こうやって考えているうちに、 逆にこの状況を利用して「自分で考える機会にしたらええんちゃうん?」と気づきました。
実際に、全くルール無しで子供に完全に任せた人ほど上手く行ってる、という経験談も見聞きしたことがあり、その方法も頭をよぎるのですが、この方法は子どものタイプによって吉と出るか凶と出るかかなり差がありそうだとも思い、 なかなか勇気が出ません。
そこまでひとまず正直に私の思いを息子に伝えてみました。
- ■ どうして私(親)が、ゲームをやりすぎないでほしいと思っているか
- ■ 今(子ども時代)にやっておかないといけないと親が思う事
などなど・・・
どこまで伝わってるかは謎ですが。。。
伝えた上で、一緒に考えていく
ひとまず、親としての思いを伝えたので、次は「じゃあ、具体的にどうする?」を息子と一緒に考えるフェーズに入る予定です。
基本的な時間の運用、イレギュラー時の対応、などなど・・・
双方が納得するルール作りは一朝一夕ではないとは思いますが、
都度話し合い、時には喧嘩もしながら上手い着地点を探っていければと思います。
最後に

もともとは「ゲームのルールどうする?問題」から始まったこの話。 気づけば、私自身が自分の不安と向き合うきっかけになっていました。
「親が管理する」という視点から離れてみただけで、なんだかちょっと肩の荷が下りた気もします。
完璧なルールを作ることよりも、「なぜそうしたいのか」を伝え合いながら、一緒に考えていくこと
それを大切にして、親子で成長していければと思います。